成功するしないという観点からすると、成功というのは資格試験ならば合格することです。
あとは、仕事であれば仕事ができるようになるとか、いろいろな場面で勉強というものをするわけです。
勉強というのは強いて勉めるということで、今までの自分よりレベルアップするために、ある意味強制するわけです。
直すという意味の矯正もありますし、強く制するという意味の強制もあります。
どちらにしろある程度、今までの自分を捻じ曲げないと新しいレベルに行けない。
通常、そういった強引に捻じ曲げるというイメージが先行すると、義務みたいで辛いものというイメージがあると思います。
しかし、自分を強引に捻じ曲げるというイメージでやってしまうと、大体努力が途中で失敗するのです。
簿記検定でいくなら簿記3級、2級、1級とレベルが上がれば上がるほどどんどん難易度が上がっていきます。
仕事もそうなのですが、高いレベルのことをやろうとすればそれだけ必要な時間とか努力量は格段に変わってきます。
1日や2日、せいぜい1週間とか2週間とか短期間ならば続くのですが、通常資格試験は1ヵ月2ヵ月3ヵ月、長ければ半年や1年というケースもあります。
それだけの期間を続けようと思ったときは「~しなければならない」「できなかったら嫌だな」という苦しみとか修行の感覚でやると、特にいろいろな活動があるなかで忙しい中でやるので、なかなか難しい。
他にやることがなければ没頭できるのですが、今の現代人はやることがたくさんあるので、それを考えると、忙しい様々な活動の中で勉強だけを続けるというのは結構難しいのです。
これは仕事とか義務とか have to とか、業務みたいに考えると厳しい、難しいのです。
そもそもこれで給料をもらっているわけではないですから。
給料をもらうならば仕事ができるのですが、給料をもらわない、自発的にやっている勉強で、辛いと思ってやって続くことはなかなかないのです。
例えば、今日1日で10ページ読まなければならないとしたら、10ページ読むという義務が大事なのです。
一歩引いたら、それはチェックしなければマズイのですが、大事なことは「よーい、スタート!」で勉強を1時間始めました。
さらに今勉強をやっている最中です、というときにも「ああ、やらなくちゃ、やらなくちゃ」という気持ちでやっている人が結構多いです。
これは少し振り返ってみてください。
わりと私の経験上、7割以上の人はこのパターンでやっているので続かないのです。
勉強をしているときに、「ああ、これやらなくちゃ。次のページやらなくちゃ。早くやらなきゃ。ああ、なんか、うまくいかないな。イライラするな」みたいな感じでネガティブな信号が脳の中を駆け巡らせていると、実は勉強は続きません。
普段の勉強で分からなくてストレスがたまる、と思っていると嫌になってしまいます。
そこをどうとらえるか?
そこを切り替える。
物はとらえようなのです。
これは仏教の世界ではないですが、どうそれを受け止めるかなのです。
五陰盛苦という言葉があって、私、結構この言葉が好きなのですが、仏教の話は別の話として。
私は易経とかいろいろやっていますが、私は自分の興味のある分だけいろいろつまみ食いしながら自分に当てはめています。
例えば、問題ができないということに直面したら、嫌だなと思うわけです。
「なんで、こんなのできないの?」と思うわけです。
その考え方自体をどう思おうと問題が解けないことに変わりはないのだから、どうせ解けないなら自分をいじめないことです。
逆に考えるのです。
できない問題ができた、「ああ、よしラッキー」と考えるのです。
なんでもラッキーと言えばいいのです。
「この問題できれば一歩進めるじゃん!」逆にそう思うのです。
壁が見つかったということを喜ぶ習慣が義務教育時代にあまり培われていないのです。
壁に当たると、先生に怒られると思って、「ああ、やだ」と思ってしまう、その反射神経、瞬間的な条件反射の積み重ねが今のあなたであり、私なのです。
物事に対する受け止め方を自分で意図的に変えなければいけないのです。
自分でしか変えられないのです。
困難に直面した、できないことにぶつかったら、ラッキーと思ってください。
逆に言うと、課題が見つかったということです。
課題が見つかったということは明確になったということ。
その一歩手前は課題すら分からない、何をやっていいか分からない状態が何をやればいいかが分かったと思えば一歩前進なのです。
分かったこと自体、一歩前進なのです。
そう考えれば、勉強そのものに没頭して楽しむのです。
勉強というのは自分の壁を見つける作業なのです。
壁が見つかれば次々クリアーしていけば最後はラスボス、ラストのボスを倒せばいいのですから。
ロールプレイングゲームと同じです。
1時間の勉強も一つのロールプレイングと考えてプレイしましょう。
困難に捕まったら、これはなにかアイテムを手に入れてやっつければいいのです。
ゲームと同じです。
例えば、簿記の勉強をしていて、特殊商品販売の割賦販売が分からないとかあるわけです。
あるいは、簿記3級ならばどうも為替手形が分からないとかあります。
そうしたら、それが一つの敵キャラです。
倒せばいいのです、そいつを。
そして、最後のラスボスは何かと言ったら、為替手形の引き受けとかそういうラスボスがいるわけです。
ラスボスか分かりませんが。
そういうボスがいるのです。
それをやっつければ点取れるのですから、4点ゲットです。
というように得点ゲットと考えれば、ゲームなのです。
勉強そのものを楽しみましょう。
勉強することを義務と思うと、「これをやらなければいけない」と思うと、ストレスが溜まってできなくなってしまいます。
なので、困難が見つかった、ゲームのクリアーすべき課題が見つかった。
何をやっていいか分からない状態から何をやればいいかが分かったと思えばいいのです。
困難にぶつかったときは考え方次第です。
楽しむことです。
これをクリアーすればゲーム1面クリアーです。
1時間のなかでゲームをクリアーする感覚で勉強する。
勉強そのものを楽しんだほうが半年1年続きます。
それをさらに2年3年と続ければ、あなたの力が付きます。
簿記なんて2年か3年勉強すれば相当レベルが上がるのです。
どんな人でも2年、3年やれば1級合格レベルまで行けます。
短期合格法でやれば4ヵ月から半年で受かっています。
それを何年やるかは個人差があります。
別に2年やってもいいのです。
これは何ヵ月やっても「ああ、簿記は楽しい」と思ってやるわけです。
勉強自体を楽しむ、簿記に限らず、法律の勉強も楽しむ、「ああ、法律の勉強楽しい」と思えばいいのです。
私も前に司法試験の勉強をしたことがありますが、面白かったです、民法の勉強とか。
これで世の中の問題、もめごとが解決できると思えば、「ああ、こういうもめごとがあるんだな、これを法律の解釈で救済する、助けてあげる」と考えれば面白いではないですか。
簿記もそうです。
こうやって数字を合わせるんだ、と思うと楽しい。
ゲームにしましょう。
簿記を修行にしない、あるいは簿記に限らず、英語の勉強もそうです。
「なんか、英文法覚えなきゃ」と思ったら、つまらない。
英文法をクリアーすることをゲームだと思えばいいのです。
ゲーム化しましょう、これが今どきの勉強法です。
なので、簿記にしろ、何にしろ、勉強をゲームと考えて没頭することです。
楽しいゲームなら何時間でもできます。
その感覚で気が付いたら3時間やっていたというのがいいと思います。
「ああ、3時間勉強しなければ」という考え方だと少し辛いのでとらえ方を変えます。
気が付いたら没頭して、我も忘れて、寝食を忘れて、食べることを忘れて簿記をやっちゃった、簿記の勉強をしちゃった、みたいなそういう状況に持っていけばいいと思います。
必ずできます。
勉強を楽しむという姿勢、心の持ち方に変えられたら、あなたはどのようなことでもマスターできます。
勉強を楽しみましょう。
私はいつもあなたの成功を応援しております。
ここまでご覧いただきまして、誠にありがとうございました。
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